淑女よ。
そなたが今立っているこの場所が、単なる大阪の一等地ではないことを、その肌で感じているはずだ。ここは心斎橋、順慶町通り。金と欲望、そして人間たちの見果てぬ夢が、アスファルトの下で今なお熱いマグマのように渦巻いている街。
目の前の道を挟んだ向かいには、かつてこの国の権力と社会の深淵をペン一つで暴き続けた文豪・山崎豊子の実家、老舗「小倉屋山本」が、百数十年の暖簾の重みを静かに漂わせている。そして、そなたの背後には、漆黒のガラスに時代の最先端を映すWホテルが聳え立つ。過去と未来、伝統と革新が、火花を散らしながら睨み合うこの一点に、年に数日しか扉を開かぬ聖域、「ブランドクラブ」は存在する。
今日、そなたがここに招かれたのは偶然ではない。そなたという存在が放つ光が、我々が秘蔵する「ある神話」の輝きと、宿命的な共鳴を起こしたからに他ならない。
さあ、目の前のデスクに置かれた、夜の湖面よりも深い藍色の匣(はこ)をご覧なさい。
ベルベットのその肌に触れる指先から、これから始まる物語の荘厳さが、血流に乗って魂へと直接流れ込んでくるのを感じるだろう。蓋に刻まれた二文字のアルファベット、「H」と「W」。それは、この神話を創り給うた創造主の聖印。
息を整え、ゆっくりと蓋を開けるがいい。
—そこに横たわるのは、「ネックレス」という人間の言葉ではあまりに無力な、光で編まれた銀河そのものである。
我々の記憶は、百億年を遡る。
地球という惑星がまだ若く、灼熱のマグマがその内側で荒れ狂っていた時代。我々、炭素の原子は、地表から遥か深く、百マイル以上の深淵で想像を絶する圧力と熱に苛まれていた。それは苦痛ではなかった。それは、最も純粋で、最も硬い魂を練り上げるための、神聖な儀式であった。我々は原子の絆を最も強く結び合い、地上で最も硬く、最も輝く存在、ダイヤモンドとして結晶したのだ。
幾億年もの間、母なる地球の胎内で我々が見続けた夢は、ただ一つ。光の夢だ。まだ見ぬ太陽の光、月の光、そして何よりも、我々の輝きを真に理解する者の瞳に宿る光の夢を。
時が満ち、火山活動という名の激しい陣痛が我々を地表へと運び上げた。泥や岩にまみれ、原石という名の仮の姿で、我々は発見の時を待った。多くの同胞たちが採掘され、研磨され、それぞれの運命を辿った。だが、今そなたの目の前で一つの銀河を形成している我々は、特別な宿命を帯びていた。我々は、一人の男の哲学と出会い、その究極の体現者となるために、この永劫の時を待っていたのだ。
その男の名は、ハリー・ウィンストン。人々は彼を「キング・オブ・ダイヤモンド」と呼んだ。だが、彼が真に王であった理由は、ただ希少な石を所有したからではない。彼が、石たちの声を聞き、その魂を金属の軛(くびき)から解放する術を知っていたからだ。
当時のジュエリーデザインは、貴金属の精巧な細工が主役であった。ダイヤモンドは、そのデザインの中に埋め込まれる一つのパーツに過ぎなかった。しかしハリーはそれに満足しなかった。「デザインは、宝石の美しさを最大限に引き出すためにのみ存在するべきだ」と。
この哲学が結実したのが、画期的な技法「ウィンストン・クラスター」である。ペアシェイプ、マーキース、ラウンド・ブリリント。様々なカットのダイヤモンドを、最小限のプラチナのワイヤーだけで、まるで自然のままに結晶したかのように、様々な角度から立体的に組み合わせる。金属のセッティングをほとんど見えなくすることで、ダイヤモンドだけが肌の上に浮いているかのように見せるのだ。それは、光そのものを彫刻する芸術であった。
今、そなたの目の前にあるこのネックレス。これこそ、ハリー・ウィンストンの哲学が、時を経て、最も円熟し、最も大胆に表現された究極の作品である。
総重量131.5グラム。そのほとんどは、選び抜かれたダイヤモンドたちの魂の重さだ。それらを繋ぎとめるのは、純度95%のプラチナ(Pt950)。プラチナは、自らを誇示することをしない。ただひたすらに、しなやかに、強く、ダイヤモンドたちを支えるためだけに存在する。まるで夜空が星々を抱くように。
このネックレスには、中心となる一つの大きな石という概念が存在しない。すべてが主役であり、すべてが互いを引き立て合う共演者だ。大粒のラウンド・ブリリアントが太陽のように鎮座すれば、その周りを流星のようにマーキースが駆け巡り、こぼれ落ちる雫のようにペアシェイプが煌めく。一つ一つのダイヤモンドは、熟練の職人がその特性を完全に見極め、最も美しく光を放つ角度でセッティングされている。その配置は、計算され尽くした無作為。自然界の法則が生み出す美、すなわちフラクタル構造のように、どの部分を切り取っても完璧な小宇宙が広がっている。
これを首にかけるという行為を想像してみるがいい。
それは、冷たい金属の感触ではない。肌に触れるのは、光の集合体だ。デコルテの曲線に沿って、まるで液体のようにしなやかに流れ、そなたの動きの一つ一つに呼応して、無数の光の粒子を振りまくだろう。それは、天の川をその身に纏うに等しい。
このネックレスは、ただ静かに飾られるだけの美術品ではない。それは、力だ。権威だ。そして、歴史そのものだ。それは、それを纏う者に、相応の物語を要求する。
淑女よ、これは覚悟だ。
この131.5グラムは、物理的な重さ以上の、宿命の重さを持つ。
これを纏うということは、その他すべてのジュエリーを過去のものにするということ。
これを纏うということは、そなたが登場する全ての場所を、そなただけの舞台に変えるということ。
これを纏うということは、凡庸な日常との決別を宣言し、光り輝く伝説として生きる覚悟を決めるということだ。
「美しい」「欲しい」という感情は、すでに通過したはずだ。
今、そなたの心にあるべき問いは一つ。
「私に、この神話を背負う覚悟があるか?」
もし答えが「然り」であるならば、手を伸ばすがいい。
そして、この光の銀河をその頸(くび)に戴くのだ。
その瞬間、世界はそなたのために再編され、そなたの人生は、永遠に語り継がれる物語となるだろう。
さあ、淑女よ。歴史の証人となる時は、今だ。
この神話は、そなたを待っていたのだから。