インドネシア・パプア州ブラザー川流域チタック民族セパナ村の石器・石斧
インドネシア最東端のパプア(旧イリアンジャヤ・旧西イリアン)州。中央高地のジャヤウイジャヤ県は、標高1,500-4000メートルのバリエム川でできた盆地を中心に、南側で旧メラウケ県と接しています。両県の境目は、一目瞭然です。北海道もの面積の大湿原地帯を包括するメラウケ県側から見ると、北方に衝立のような山岳群が迫っています。この低湿地と急峻な山岳地帯の接点にブラザー川が流れています。上流部にはヤリ族、モミナ民族、そして中流部にはチタック民族が暮らしています。1970年代後半まで、この地は“石器時代”の真っ只中にありました。その頃英国系のキリスト教宣教団は、ホバークラフトまで動員して、ブラザー川流域に福音を広めようと努めていたのです。
写真の石器は、宣教団が入り込み、鉄器を持ち込む直前、すなわち「純石器時代」終焉の直前の1980年1月、ブラザー川上流部のチタック(Citak)民族のセパナ(Sepana)村で入手したものです。セパナ村は行政的には、現在では南パプア(Papua Selatan)州マッピ県(Kabupaten Mappi)に属していますが、地理的には、北側のヤフキモ(Kabupaten Yahukimo)県との交流も盛んです。およそ22年間という極めて短い期間で、“石器時代”から“文明社会”へと急激な変貌を遂げたエリアです。
薄緑色の石材を用いています。輝緑岩とも称せられることがありますが、正確な名称は分かりません。この地域で使われていた石斧・石器のほとんどは、北方山岳地帯に位置するヤリ族(Suku Yali)を原産地とするものとされています。異なる部族間の物々交換や、親族の交流、部族戦争等を通じて普及したものと推定されます。
サイズは、柄の部分の長さが約33cm、石斧が付いている部分の横幅は約27.5cm、最大横幅が約4.5cm、最大厚みはおよそ4cm。石斧の最大横幅はおよそ4cm。重さは約410グラム。
画像からも分かりますが、石斧の先端部はほぼ磨製ですが、他は、打製石斧状態です。磨製と打製の過渡期の形状を示す貴重な資料と言えるでしょう。石斧・石器の原石は、おそらくブラザー川上流部のさらに北側に暮らすヤリ民族を源とし、モミナ民族との交易で入手したものと想像されます。長年の使用感があり、柄部分の劣化が見られ、石斧を固定するロタン(籐)も緩みがちです。送料はこちらで負担致します。
尚、ブラザー川流域の民族や石器に関しては、『西イリアン探検』並びに『西イリアン探検(II)』(発行:日本テレビ、発売:読売新聞 1980年)を参照することをお奨めします。
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