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ハノーヴァー朝第6代【ヴィクトリア女王】(在位:1837年 - 1901年)
18歳で即位、世界各地を支配して栄華を極めた大英帝国の象徴。初代インド皇帝。
9人の子女(4男5女)が欧州各国の王室・帝室と婚姻を結んだ結果ヨーロッパの祖母と呼ばれる。
発行枚数300枚。ヴィクトリア女王即位記念に作られたウナとライオンを初めとするプルーフコイン15枚セットのうちの1枚です。
女王の美しい肖像と芸術的な紋章、ブルートーンがとても美しいプルーフクラウン銀貨です。
「金貨以上の銀貨」の代表格のうちの1枚。
動画↓↓
第三者鑑定機関であるアメリカの「PCGS」にて鑑定されています。
参考:
第120代【仁孝天皇】(在位:1817年 ‐ 1846年)
第121代【孝明天皇】(在位:1846年 ‐ 1866年)
第122代【明治天皇】(在位:1867年 ‐ 1912年)
1840年 - 1842年 アヘン戦争
1853年 アメリカ使節のペリーが浦賀に来航。
1861年 - 1865年 アメリカ南北戦争
1863年 薩英戦争
1867年 大政奉還 王政復古の大号令
1882年 日本銀行設立
1894年 - 1895年 日清戦争
1902年 日英同盟
Crown Silver Coin Tone Queen Victoria Great Britain
【ヴィクトリア】詳細
ヴィクトリアは1819年5月24日誕生。ジョージ3世の第4王子であるケント公エドワード・オーガスタスの一人娘。3人の伯父たちが嫡出子を残さなかったため、1837年6月20日に18歳で即位する。 なお上の従兄にはハノーファー王ゲオルク5世が、下の従弟にはケンブリッジ公ジョージという王子がいる。ハノーヴァー朝の国王は代々ドイツの領邦国家ハノーファーの君主(選帝侯、のち国王)を兼ねていたが、ハノーファーではサリカ法による継承法を採っており、女性君主の統治が認められていなかった。そのためハノーファー王位はヴィクトリアでなく叔父エルンスト・アウグストが継ぎ、イギリスとハノーファーの同君連合は解消された。
在位初期は、ホイッグ党の首相メルバーン子爵を偏愛した。1840年に母方の従弟にあたるザクセン=コーブルク=ゴータ公国の公子アルバートと結婚する。ヴィクトリアはアルバートとの間に4男5女の9人の子供をもうけた。夫アルバートの忠告に従って王権の中立化に努めるようになった。その後もしばしば政治に影響力を行使しながらも、基本的に議会の状況に基づいて首相を選出するようになった。
国王の政治的影響力の面では夫アルバートがヴィクトリアに代わって重きをなすようになっていったが、彼はその権威が絶対的になる前の1861年12月14日に満42歳で薨去した(また同年3月に母ケント公夫人ヴィクトリアを亡くしている)。これにより、イギリスに立憲君主制の道が開かれることとなった。一方、悲しみにくれるヴィクトリアはその後10年以上にわたって服喪し、公務に姿を見せなくなったが、1870年代に保守党の首相ベンジャミン・ディズレーリに励まされて公務に復帰し、ディズレーリの帝国主義政策を全面的に支援し、大英帝国の最盛期を築き上げた。
1876年には「インド女帝」に即位した。ディズレーリを偏愛する一方、ディズレーリと並んでヴィクトリア朝を代表する自由党のウィリアム・グラッドストン首相のことは一貫して嫌悪し、グラッドストンのアイルランド自治法案の阻止に全力を挙げた。晩年には老衰で政治的な活動は少なくなり、立憲君主化が一層進展した。
シマダコイン
古物商登録番号: 愛知県公安委員会 第542522207100号