【送料無料】英国マンフレッドマンCD4枚[マイティ・ガーヴィ―!][The Best 0f MANFRED MANN]+ポール・ジョーンズ・コレクション[VOL1 My Way][VOL2 Love Me,Love My Friends]
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60年代英国で活躍したバンド、マンフレッドマンのラスト・アルバム①[マイティ・ガーヴィ―!]と第一期(チャプター1)の②ベスト盤、66年までボーカルを務めたポール・ジョーンズのソロアルバム③[VOLUME 1 My Way] + ④[VOLUME 2 Love Me,Love My Friends] の合計4枚を出品致します。レンタル落ちではありません。①は1回のみの試聴です。
① マンフレッド・マン[マイティ・ガーヴィ―!/ Mighty Garvey!] 全28曲 1968年作品 UICY-9247《紙ジャケット仕様》 2003年CD発売 国内盤
*詳しい曲目は、画像5をご覧下さい。
②マンフレッド・マン[The Best of MANFRED MANN The Definitive Collection] 全26曲 CDP-7-96096-2 1992年CD発売 米国盤
*詳しい曲名は、画像6をご覧下さい。
③ ザ・ポール・ジョーンズ・コレクション[Volume One :My Way] 全21曲 1966/67年作品 MSIF3503 1996年CD発売 国内盤仕様英国盤
*詳しい曲目は、画像7をご覧下さい。
④ ザ・ポール・ジョーンズ・コレクション[Volume Two: Love Me,Love My Friends]全21曲 1967年作品 RPM169 1996年CD発売 国内盤仕様英国盤
*詳しい曲目は、画像8をご覧下さい。
①は、
『サイケデリック及びトータル・アルバムの余波は、当時デビューしたグループはもちろん、サイケデリック・ムーブメントが到来する以前(あるいは「サージェント・ペパーズ」が発売される以前)から活動していたアーティストたちにも音楽的方向性の転換を余儀なくさせた。プリティ・シングスしかり、ホリーズしかり、そしてマンフレッド・マンもそんなグループのひとつだった。彼らが68年にリリースしたアルバム[マイティ・ガーヴェイ―!] はサウンド・エフェクトやメロトロンといった楽器を使用してサイケデリック・サウンドの挑戦した作品で、さらに一つのテーマを持たせることにより、トータリティを加味させている。シングル中心だった市場がアルバムを重要視するようになったのもこの頃で、彼らもそれを意識したのであろう。しかし、数多くのヒット曲をチャートに送り込んできたポップの名門バンドらしく、あくまでも楽曲主義を貫いたアルバムで、それがこの作品の完成度を高めた原因の一つとなっている。マンフレッド・マンはこのアルバムを残し、サイケデリック時代の終焉とともに解散。キーボードのマンフレッド・マンはチャプター・スリーを結成することになる。』
CDジャーナル別冊 ストレンジ・デイズNO.4 ライナー 岩本晃市郎氏
②は、
メンバー;Vo/ポール・ジョ―ンズ G/マイク・ヴィッカーズ B/トム・マッギネス Key/マンフレッド・マンDr/マイク・ハグ(チャプターⅠメンバー)
マンフレッド・マンは、イングランド出身の5人編成のブリティッシュビート・バンド。南アフリカ出身のキーボーディスト、マンフレッド・マンが最初に結成したリーダーバンドとして知られる。66年にはボーカル&ベースが交代し1969年代で解散。本CDにはヒットした「Do Wah Diddy Diddy」のロング・ヴァージョンが収録。
③は、
『マンフレッド・マンのシンガーだったポール・ジョーンズ。その2作目のソロ・アルバムで、67年にEMIからリリースされたのが本作だった。R&B風味のブリテイッシュ・ビートにオーケストラもたっぷり、というスタイルはビートルズの[サージェント・ペパーズ]やスモール・フェイシズの[オグデンズ・ナット・ゴーン・フレイク]といった作品に通ずる空気感を持つ。役者としての活動もあったジョーンズだけに、ちょっと芝居がかったヴォーカル・パフォーマンスが聞かれるのも本作の特徴だろう。10曲のボーナス収録。』
レコード・コレクターズ2006年12月号 宮子和眞氏ライナーノーツより
③④は、上記アルバムの前にリードボーカルであったポール・ジョーンズがマンフレッド・マンを辞めた後に発表した2枚のアルバム[My Way][Love Me,Love My Friends]を中心に未発表曲やシングル曲を詰め込んだコレクション2CDです。
③には映画「傷だらけのアイドル」テーマである「FREE ME / PRIVILEGE」を収録、この曲は、日本ではシングルカットされ当時のGSザ・タイガースがレパートリーに入れるなど注目されました。余談ですが、低音のサリー(現在の岸部一徳)は、長々と続くこの歌の唸るようなバックコーラスのパートで気持ち悪くなったとか…
④には、マンフレッド・マン在籍時にはボブ・ディランの最高の解釈者と称されたジョーンズがソロ転向後に取り上げたディラン・ソング「ハッティキャロルの悲しい死」が会心の出来です。これも日本では吉田拓郎氏が「準ちゃんが…に与えた偉大なる影響」という名でカバーした長い曲ですが、ジョーンズのヴァ―ションは拓郎さんの半分の6分強でバンド演奏のフォークロックに仕上げています。2作共マンフレッド・マン時代のエネルギッシュ過ぎる歌い方からしっとりとした歌い方に移行して聴き易い感じです。
マンフレッド・マンは、ボーカルがポール・ジョーンズの在籍時代をチャプターⅠ、①のマイク・タボ在籍時代をチャプターⅡ、70年代に入りチャプターⅢ、その後マンフレッド・マン・アース・バンドと息の長い活動をします。グループは、ジャック・ブルースやクラウス・フォアマン等の音楽史に名の残るミュージシャンの輩出(=通り道)もあり、存在感のあるバンドでした。
在庫整理で出品致しますが、申し訳ありませんがバラ売りは致しません。4枚セットでの購入をお願い致します。大切にしまってありましたが、盤面は奇麗ですが、保管期間は長かったので、神経質な方はご遠慮下さい。ノークレームノーリターンでお願い致します。迅速な発送を心がけます。
他にも音楽CD・DVDを中心に色々と出品しています
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