歌と
サックスを学び、14歳の時に自身のバンドを結成。後に同じカーボベルデ系のメンバーと
タバレス(Tavares)を結成、
北米、
ヨーロッパをツアーする。
これをきっかけにゴメスはスタジオミュージシャンとしての仕事を得て、タバレスを脱退し、ヨーロッパで活動することを決める。
そこで彼は、新しいアーティストの作品を世に出すために自らのレーベルを設立した
作曲家チーム、ニコラス・スコースキー (Nicolas Skorsky) とジーン・マヌエル・デ・スカラノ (Jean Manuel de Scarano)に出会う。
サンタ・エスメラルダは彼ら3人のコラボレーションによって誕生した。
1977年、ゴメスをリード・ボーカルに据え、
1964年の
アニマルズのヒット曲
『悲しき願い』をタイトル・ナンバーに据えたデビュー・アルバムが、フランスの独立レーベルFauves Pumaからリリースされた。
シングルカットされた『悲しき願い』のB面は、ラブ・バラードの
You're My Everythingで、チャートインしなかったにもかかわらず、ラジオに多数のリクエストが寄せられた。また、同じくアニマルズのカバー曲
「朝日のあたる家」もディスコチャートのTop20にラインクインさせた。
ダンサーを含んだグループが編成され、ワールド・ツアーが開始された(ダンサーのひとりTequilaは、数枚のアルバムとシングルのジャケットに登場し、最終的にゴメスの妻になった
[3])。
サウンドトラックはヒットし、その年にはポップ・アルバム・チャートに3枚のアルバムを送り込んだ(『悲しき願い』(25位),『
朝日のあたる家』(41位))。
1979年に「ビューティ」でマイナーなクラブ・ヒットを放ち、「Another Cha-Cha/Cha-Cha Suite」で久しぶりにディスコTop20にチャートインした (16位) 。
しかし、さして注目されなかった2、3のアルバムをリリースした後、カサブランカ・レコードの倒産とディスコ・ブームが去ったことにより、グループは解散した。
2002年、ゴメスはグループを再編成し、ニュー・アルバム『Lay Down My Love』をリリース、ツアーを開始した。
2004年には、ディスコ時代のヒット曲を再レコーディングした『サンタ・エスメラルダ Greatest Hits』をリリースした。
サンタ・エスメラルダ・バージョン
1977年にリリースされたサンタ・エスメラルダのバージョンは、アニマルズ・バージョンのアレンジを下敷きに、
フラメンコ、
サルサ、他のラテン・リズムを加味して装飾したディスコナンバーである。まず最初にアルバム『悲しき願い』アルバムの片面全体を使った16分のエピックとして発表され、
カサブランカ・レコードがワールドワイドでの配給権を獲得した。シングルはホット・ダンス/ディスコクラブチャートの最高4位まで上がった
[3]。12インチ・クラブリミックスは非常に人気を呼び、ビルボードのクラブ・チャート、その他のヨーロッパ各国で1位を獲得した。その年の暮にはポップスのシングルとしてリリースされ、1978年前半に
ビルボードHOT100の15位にランクされた。日本では
オリコン洋楽シングルチャートで1978年
2月20日付から17週連続1位を獲得した
[4]。