■商品詳細
【書名】 今體名家小傳 内藤傳右衛門銅版本
【巻冊】 半紙判一册
【著者】 東浦榮治郎編
【成立】 明11
★ 山梨縣甲府常盤町四番地/内藤傳右衛門序文及出版
★ 康煕綴
★ 三條實美・岩倉具視・木戸孝允・大久保利通・大隈重信・伊藤博文・副島種臣・後藤元燁・板垣退助・伊地知正治・加藤弘之・山縣有朋・秋月種樹・榎本武揚・陸奥宗光・山尾庸三・森有禮・前島密・神田孝平・津田真道・尾崎三良・西周・中村正直・福澤諭吉肖像入小傳。(内、伊地知・加藤・津田・尾崎・西・中村は肖像無し)。
★ 甲府の内藤傳右衛門は明治初期の出版界に於いて注目すべき人物と思われる。
★ 本書は、一見して小册な小傳集であるが題簽に至るまで銅版で印刷され殆どの人物に肖像画を掲げてしかも康煕綴を採用した贅澤な装釘である。
★ この時期に地方の甲府で銅版印刷を導入していたことは注目すべき。
★ 一番最後に福澤諭吉の小傳を肖像と共に掲げているが、若しかすると、福澤の肖像が印刷された最初の刋行物の可能性がある。
★ 一説に、内藤傳右衛門は農家に生まれたが生後間もなく甲府八日町の「藤屋」内藤傳右衛門の養子となり後襲名して養母に國學を學んで幼少から恵まれた環境で育てられたと云う。
★ 非常に先驅的な發想をもつ傳右衛門は明治五年に山梨縣最初の新聞『峽中新聞』を創刋し改題を重ねて今日も『山梨日日新聞』として現存する。『峽中新聞』は當初整版であったがいち早く金屬活版印刷を導入した。
★ 關東圏の地方でも有力な書肆が『物理階梯』レベルの教科書類を出版したが、傳右衛門は明治四年刋行の文部省官版の大作『輿地誌略』の飜刻をやってのけた。『輿地誌略』は關西では一般的だった銅版印刷を慶應四年頃から紙幣の印刷のため京都から移住していた二代玄々堂松田緑山らを招き入れて細密な插繪を銅版と石版印刷を採用した傑作でもある。おそらく傳右衛門はその優れた銅版技術に興味をもっていち早く甲府に銅版印刷を導入したと考えられる。
★ 明治16年上京して出版事業を續けたが、文部省との版權訴訟、おそらくは『輿地誌略』の版權訴訟に敗れるなど晩年まで不遇だったと云う。