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ハノーヴァー朝第2代【ジョージ2世】(在位:1727年 - 1760年)
父ジョージ1世がイギリス国王となる時に共にドイツより来英。戦上手。
通常のクラウン銀貨と違いジョージ2世の肖像の下にLIMAの文字。
イギリス海軍ジョージ・アンソン提督が世界一周航海の時にスペイン艦隊より奪取した銀で製造されました。
スペインが持っていた銀は植民地ペルーのリマという地域の銀山から得たもの。
ブルートーンが素敵な1枚です。
動画↓↓
NGC鑑定↓↓
参考:
114代 中御門天皇(在位:1709年 - 1735年)
115代 桜町天皇(在位:1735年 - 1747年)
116代 桃園天皇 (在位:1747年 - 1762年)
1746 Lovely blue toned Crown Silver Coin George II LIMA Great Britain
【ジョージ2世】詳細
ジョージ2世は、ハノーヴァー朝第2代グレートブリテンおよびアイルランド国王、ハノーファー選帝侯。選帝侯としてはゲオルク2世アウグスト。ジョージ1世と妃でリューネブルク候ゲオルク・ヴェルヘムの娘ゾフィーの息子である。ジョージ2世は北ドイツで生まれ、外国で生まれたイギリスの君主としては最後となった。
ジョージは4歳まで当時外交と宮廷の共通語であったフランス語しか話さなかったが、その後は家庭教師の1人ヨハン・ヒルマール・ホルシュタインからドイツ語を学んだ。フランス語とドイツ語の他、英語とイタリア語も学び、また系図学、軍事史、戦術をとりわけ勤勉に勉強した。
1701年王位継承法と1707年合同法でイギリス王位継承権がプロテスタントに限定されたため、継承順位が50位以下だった祖母のゾフィー・フォン・デア・プファルツは一気に継承順位2位まで上がった。1714年にゾフィーとアン女王が相次いで崩御すると、父のハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒはイギリス王位を継承した(ジョージ1世)。
父の治世初期は反対派の政治家に味方し、1720年に反対派が与党と和解するまで続いた。
ジョージ2世が1727年に即位した後、イギリスの内政はグレートブリテン議会が司り、ジョージ2世が干渉することは少なかった。
選帝侯としてはハノーファーで12回の夏を過ごし、そこでは政府の施策を直接支持した。
ジョージ2世の長男のフレデリック・ルイスとは仲が悪く、フレデリックは議会で野党を支持した。
オーストラリア継承戦争中の1743年にデッティンゲンの戦いに参加、戦闘に参加したイギリス国王としては最後となった。
1745年、カトリック教徒であるジェームス・フランシス・エドワード・スチュアートの王位継承を支持したジャコバイトはジェームズの子チャールズ・エドワード・スチュアートに率いられて最後のジャコバイト蜂起を起こし、ジョージ2世を廃位しようとしたが失敗した。
フレデリックが1751年に早世したため、ジョージ2世が1760年に崩御すると、孫のジョージ3世が王位を継承した。
ジョージ2世の崩御後2世紀の間、歴史家は彼の愛妾、短気さ、そして粗野さを軽蔑した。その後は再評価が進み、彼の外交政策と軍人の任命に対する影響が評価された。ジョージ2世は歴史において強い役割を演じなかったかもしれないが、時にはその影響力を発揮し、立憲君主制を擁護した。
エリザベス・モンダキューはジョージ2世について、「彼といれば、わたしたちの法律と自由は安全である。彼は人民を信じ、外国政府を尊重した。その精確の安定さにより、動乱の時期にも大きな影響力を行使することができた。彼の性格により、史詩の主役になることには値しないが、歴史の落ち着いた1ページではよく見えるでしょう。」と語った。
シマダコイン
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