
で、一年くらい前に購入。印と名前は、「与謝蕪村」という絵師、俳諧師を指している。
左下ポツリとある印は、「奚疑(けいぎ)」という言葉を記してある。「奚疑(けいぎ)」とは、この世にサヨナラという意味である。この言葉は、与謝蕪村の名の由来でもある『帰去来辞(ききょらいのじ)』から来ている。「奚疑(けいぎ)」は、『帰去来辞(ききょらいのじ)』の結びの言葉である。
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この絵には、俳句(発句)が、書かれている。
「いかめしきあられの音や桧木笠(ひのきがさ)」
そして、俳句(発句)の下方に、旅の衣装の僧侶、杖と桧木笠。
この僧侶は、松尾芭蕉のように見える。
「いかめしき音やあられの桧木笠(ひのきがさ)」
上の句は、じっさい松尾芭蕉の有名な句である。しかし、よく見ると、絵に書かれた俳句は、
「いかめしきあられの音や桧木笠(ひのきがさ)」
であり、確かに、違いがある!
(あられの音や)絵の俳句
(音やあられの)松尾芭蕉の俳句
絵に書かきとられた俳句は、松尾芭蕉の有名な句と少し違っている。
そして、松尾芭蕉らしき肖像に注目。
この絵に画かれた松尾芭蕉、われわれがよく知る松尾芭蕉の姿、与謝蕪村が肖像画で描く真面目で、威厳のある松尾芭蕉とは違っている。
与謝蕪村の『奥の細道図屏風(絵巻)』に出てくる簡略化された松尾芭蕉とも違っている。
絵に描かれた松尾芭蕉は、とても複雑な、奇妙な表情を浮かべている。
松尾芭蕉の奇妙な表情は、おそらくは、自分が詠んだ句が、自分が詠んだのとは違って書き取られている事に、気づいてしまった事による驚き、絵の描き手に対する不信感、警戒心、ふつふつと沸き起こる怒りから来ていると思われる。しかも、絵の中の松尾芭蕉には、反撃が出来ないのだ。
(なんという図々しい野郎だろうか。与謝蕪村! 俳聖、松尾芭蕉の句にケチをつけて来るというのは!)
松尾芭蕉は、理解することは出来た。
(与謝蕪村は、ワシのこの句に対して、不要なケレン味を嗅ぎつけたに違いない。そして、この句に対して、与謝蕪村として、『遺作(最後の仕事)』として、意を決して、与謝蕪村が正した句を絵に書き出したことを)
「いかめしきあられの音や桧木笠」
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当分、悲惨そうな雰囲気なので、「出品取り消しあり」でお願いします。
(2026年 1月 29日 2時 20分 追加)与謝蕪村が、松尾芭蕉の句にケチをつける? そんなバカなこと! そう憤りなあなた、AIの言葉に耳を傾けてみませんか?
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『也哉抄』(やかなしょう)は、江戸時代後期の文人・上田秋成(号:無腸居士)による、俳諧の「切字(きれじ)」を主な題材とした研究・論考書です。
主な内容は以下の通りです:
切字の考証: 俳諧における「や」「かな」といった切字の使い方や本質について、国学者としての視点から鋭く考察しています。
俳諧論: 単なる技術論にとどまらず、秋成独自の俳諧観や文体論が展開されています。
豪華な序文: 当時の著名な俳人である与謝蕪村(夜半亭蕪村)のほか、露堂、秋津、竹母らによる序文が寄せられており、当時の文壇における注目度の高さがうかがえます。
成立: 安永3年(1774年)頃に成立したとされ、秋成が俳諧に深く傾倒していた時期の重要な著作です。
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与謝蕪村と上田秋成との関係は、カラマーゾフの兄弟のイヴァンとスメルジャコフとの関係そのものだと思うのです。
イヴァンが考え、スメルジャコフが実行!
ですから、与謝蕪村の生前、この絵にある与謝蕪村の考えは、上田秋成さんざん聞かされていたのだと思います。