【ARS書店】『白秋の思い出』歌誌潮音・創刊前後・対談原稿・1945年~「木俣修」「四賀光子」(太田水穂妻)対談/対談原稿・200字X11枚

【ARS書店】『白秋の思い出』歌誌潮音・創刊前後・対談原稿・1945年~「木俣修」「四賀光子」(太田水穂妻)対談/対談原稿・200字X11枚 收藏

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  ・★☆・対談『白秋の思い出』・☆★・

・潮音創刊前後・木俣修&四賀光子対・

            ・N23743・

○●○●○  商品詳細  ○●○●○
●対談「白秋の思い出」-原稿の詳細・

①「対談原稿」200字X11枚・「註・1~21」12枚
 ・木俣修&四賀光子の対談を出版社編集者?記録を原稿に?
 訂正-書込み多数・汚れ傷み有り 

②「註」1~21-項目・白秋・潮音創刊
 ・白秋の第二詩集・等の註釈文 

③原稿-対談文・原稿抜粋「・問い-木俣-その当時、
 牧水や喜志子さん以外に文壇的にもいろいろおつきあいが
 ---其の頃は白秋の手紙がかなり残っていますね---
 ・答え-四賀・白秋さんの手紙はあまり---」

④原稿用紙に神楽坂・山田製の印刷
 
・作成・1945年~?・枚数・11+12枚 

⑤木俣修&四賀光子麿略歴
☆・
木俣 修1906年 - 1983年)は、昭和期の日本歌人。本名:修二[
東京高師文科卒。北原白秋に傾倒し、白秋が主張した新浪漫主義を実践。また短歌も「第二芸術」とされたのを肯定的に受けとめて、短歌を現代的なものに改革した。歌集に『高志』(1942年)、『呼べば谺』(1954年)、『去年今年』(1967年)など。
彦根藩城代家老木俣氏の末裔として滋賀県愛知郡愛知川村(現・愛荘町)に生まれる。1918年、7月に創刊された『赤い鳥』の誌友となり、綴り方、児童自由詩、自由画を投稿。北原白秋鈴木三重吉山本鼎にしばしば推奨される。その他『金の船』『小鳥』などにも投稿。滋賀県師範学校進学後、大津市に転居。『日光』の誌友となり白秋の作品に親しんだ他、膳所教会のバイブルクラスに通いアメリカ人宣教師から英語を学ぶ。1926年東京高等師範学校文科第二部(国語・漢文科)に進学したが、同時に短期現役士官として服役のため休学、京都伏見深草聯隊に入営。
1927年、東京高等師範学校に復学し上京、憧れの白秋に会う。当時の白秋は自らの歌誌を持っていなかったため、白秋系の村野次郎が主宰を務める歌誌『香蘭』に参加、編集に携わる。また一時期、同郷の米田雄郎のすすめで歌誌『詩歌』に籍を置いたり、前川佐美雄らと芸術派クラブを組織したりもした。1931年、東京高等師範学校を卒業し、仙台宮城県師範学校に赴任。仙台国語学会に加わり、小宮豊隆山田孝雄土井晩翠らと知遇を得る。1934年富山高等学校に転任。
1935年、歌誌『多磨』の創刊に参加、『香蘭』を退会。以降、白秋の助手的役割を担い、たびたび上京するようになる。1936年、北陸日日新聞(現北日本新聞)短歌選者に就任。1943年、白秋が没し『多磨』同人代表となる。富山高等学校を辞職し、小原國芳の招きにより玉川学園・興亜工業大学(現・千葉工業大学)の教授となるが、翌年に再び辞職。白秋の著作の刊行に尽力する。
☆・四賀光子:1885年ー 1976年明治期から昭和期の日本の歌人。本名は有賀みつ夫は太田水穂、養嗣子に太田青丘
長野県上水内郡長野町(現長野市)出身。父盈重は東京師範学校を卒業し、飯田高等女学校(現・長野県飯田風越高等学校)教師などを務めた教育者だった。筆名の「四賀」は父の出身地諏訪郡四賀村からとった。
長野県上水内郡長野町(現長野市)出身。父盈重は東京師範学校を卒業し、飯田高等女学校(現・長野県飯田風越高等学校)教師などを務めた教育者だった。筆名の「四賀」は父の出身地諏訪郡四賀村からとった。
長野師範学校(現・信州大学教育学部)女子部卒業後、長野で小学校教師を務めているときに当時松本高等女学校(現・長野県松本蟻ヶ崎高等学校)教師として転任してきた太田水穂と出会い、「この花会」に参加して作歌を始める。すでに二人は婚約を交していたが、上京して高等教育に進みたいという意志を水穂が認め、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)を卒業[2]1909年水穂と結婚。福島の会津高等女学校(現・福島県立葵高等学校)、東京の成女高等女学校(現・成女学園中学校・成女高等学校)、東京府立第一高等女学校(現・東京都立白高等学校・附属中学校で教える。若山牧水主宰の歌誌『創作』を経て1915年、水穂の歌誌『潮音』創刊に参加。1916年、水穂の甥にあたる兵三郎(後の太田青丘)を養嗣子に引き取る。この幼児教育の経験が、大きな転機となった。また、河口慧海のもとで法華経を聴聞した。1939年より、水穂が山荘を持っていた神奈川県鎌倉市扇ガ谷に暮らす。
1945年鎌倉から夫の出身地である東筑摩郡広丘村に疎開。1955年水穂没後より同誌主宰。1957年より歌会始選者を長く務めた。1965年、主宰を養嗣子青丘に譲る・・・・・
ネット参照

 


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(2015年 4月 30日 11時 13分 追加)
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