
商品説明等々、長文で大変申し訳ございませんが、取引トラブルを避ける為、ご面倒かとは思いますが、最後までお読みください。
[取消・キャンセル]はお受け出来ません慎重にお考えの上で責任あるご入札を宜しくお願い致します。
(商品説明の下部に「追加画像」を添付してありますので ご確認のうえ応札願います。)
取扱い商品の都合上 鑑定書(認定書・極め書き)の無い物の「商品説明」等々は あくまでも当方の「主観」で説明していますので「参考説明」 程度にお考えください。また 当然の事として「使用感・経念感」はあります。
そういった「経年・使用」の時代経過の状態を気になさる方 また神経質な方は ご入札を控えて頂いた方が 宜しいかと存じますので入札をご遠慮 お願いします。
(尚 説明解釈等々の過ち 記述の誤り等々はご了承ください。尚「解釈の過ち・記述の誤り」等々があった際には「画像」での確認の方を優先してお考え下さい。)
サイズ約(cm)棗(なつめ) 波車文の図 黒漆塗地金銀蒔絵 6・8×6・8 高さ 6・7 重量 67・6g (家庭用の料理秤にて計測)
桐製茶塗箱付 8・2×8・2 高さ 9・2
(慎重に測っていますが あくまでも参考寸法とお考え下さい)
この度の「棗(なつめ)」は表部に「黒漆塗地」にし「波車文の図」を「品位」ある「金銀蒔絵漆塗」と思われる技法で細密に仕立ててあります。
他の全体を「黒漆塗地」に施し「蓋」を開けると内側も「黒漆塗地」の技法で全体的に丁寧で且つ「上手」に仕立てあり、
「時代物」としては全体的に「出来栄え保存状態」共に最上々で「貴重」と思われます。
」
この度の「棗(なつめ)」には入手時から「丁寧」に仕立てた「茶漆塗桐製箱」が付随していて「蓋表」の右上側に「蒔絵・棗」と左下側に「宗哲」と丸印名「宗哲」と黒漆書きがある「茶漆塗桐製箱」に入っています。
(尚 「茶漆塗桐製箱」は時代物に故に箱には「ワレ」を補修した箇所がありますが、保存箱としては使用可能と思われますが「画像」にて、ご確認し ご納得の上での「応札」を願います。)
「宗哲」とは「千家十職」の塗師で中村家は、400年近く続く塗師の家。当初は蒔絵を施した家具などの製作も行っていたが、明治時代以降は茶道具の塗師専業となっている。
「宗哲」銘の初代は江戸前期の寛永頃の八兵衛が初代中村宗哲で代々繁栄して、現在の当代十三代。2006年(平成18年)に十二代中村宗哲の次女が十三代宗哲を襲名しています。
時代物の「棗(なつめ)」としては全体的に最上々の出来栄えと保存状態ですが 当然の事として時代経過による「使用感・経年感()」はありますが、
当方が見る限り時代物のとして問題になる様な傷みはなく「使用・観賞」には、全く問題のない最上々の状態です。
何れにしても時代を経た物である事をご理解のうえ応札願います。
(尚「茶漆塗桐製箱」にワレを補修した箇所がありますが、保存箱としては使用可能と思われますが、画像でご確認し ご納得の上で応札願います。)
「入札及び落札」後の「キャンセル・返品」は基本的にお受け出来ません。画像を多数入れてありますので よく確認のうえ 疑問点は質問して 責任を持って応札をお願い致します。
発送は、ゆうパック・着払い・60サイズ・にて発送いたします。 宜しくお願いします。
詳しくは「画像・商品説明」等々をよく確認のうえ 以上の「記載内容・画像」をご納得いただき お取引していただける方のご入札お待ちしております。
(2026年 4月 21日 17時 36分 追加)
棗(茶入)波車文の図 黒漆塗地金銀蒔絵「蒔絵.棗.宗哲.丸印銘」表書あり 年代物 茶道具 棗/なつめ/ナツメ 漆芸 蒔絵 茶道.香道.古美術
この度の「棗(なつめ)」は表部に「黒漆塗地」にし「波車文の図」を「品位」ある「金銀蒔絵漆塗」と思われる技法で細密に仕立ててあります。
他の全体を「黒漆塗地」に施し「蓋」を開けると内側も「黒漆塗地」の技法で全体的に丁寧で且つ「上手」に仕立てあり、
「時代物」としては全体的に「出来栄え保存状態」共に最上々で「貴重」と思われます。
この度の「棗(なつめ)」には入手時から「丁寧」に仕立てた「茶漆塗桐製箱」が付随していて「蓋表」の右上側に「蒔絵・棗」と左下側に「宗哲」と丸印名「宗哲」と黒漆書きがある「茶漆塗桐製箱」に入っています。
(尚 「茶漆塗桐製箱」は時代物に故に箱には「ワレ」を補修した箇所がありますが、保存箱としては使用可能と思われますが「画像」にて、ご確認し ご納得の上での「応札」を願います。)
「宗哲」とは「千家十職」の塗師で中村家は、400年近く続く塗師の家。当初は蒔絵を施した家具などの製作も行っていたが、明治時代以降は茶道具の塗師専業となっている。
「宗哲」銘の初代は江戸前期の寛永頃の八兵衛が初代中村宗哲で代々繁栄して、現在の当代十三代。2006年(平成18年)に十二代中村宗哲の次女が十三代宗哲を襲名しています。