
明治一分銀 PCGS MS66
明治政府が4月17日に金座を接収
明治政府が4月21日に貨幣司を設立。
4月22日から吹継一朱銀が製造された。
この吹継一朱銀は明治一朱銀であるので、接収してすぐ(5日程度)極印を作らせたみたいですね。
吹継一朱銀は嘉永一朱銀から12%ほど銀質劣っているので、もしこの時期に一分銀が作られるとしたら、
亜鉛入りの一分銀でしょうね。
そうすると、玉座系ってどう説明すればいいのか?
と考えたのですが、やはり江戸幕府が作ったとするのが自然ですかね。。。
幕府が新政府軍と戦うために、臨時的に銀貨が入用になった。
そこで、特別予算として急いで玉座系を製造した。
軍用一分銀なので、玉をつけて少し差別化した。
急ぎの仕事であったので、雑。
色揚げも製造技術も銀座のそれと同じであるので、幕府で作られたのかなとは思う。
安政一分銀と製造技術、銀質は同じ。
(2025年 12月 26日 2時 43分 追加)一時的使用の極印なので、正規の極印はあくまで安政細字一分銀という位置づけ。
正規の極印である安政細字一分銀おもてB、うらbを利用して明治一分銀は試作された。
(2025年 12月 26日 3時 02分 追加)安政一分銀 実測89.5
明治一分銀 実測80.7
80.7÷89.5=90
明治一分銀は安政一分銀から10%銀質を落としている。
やはり、吹継一朱銀を製造するなら、それに対応する明治一分銀を製造していたはず。
だから、玉座系を作ったのは明治政府ではない。
(2025年 12月 26日 4時 39分 追加)まあ記録では5月から一分銀を作り始めたとあるので、ここから作られたのが明治一分銀なんでしょう。
しばらくは吹継一朱銀と明治二分判金でしのいでいた感じですな。
だから1か月ぐらいは一分銀は作ってなかった感じですな。
(2025年 12月 26日 4時 42分 追加)浅井定量銀のぼんくらどもは。
「明治一朱銀」と「玉座系」が同時に作られていたと主張するわけですな。
いや滑稽滑稽。
(2025年 12月 26日 4時 48分 追加)ちょっと前まで浅井定量銀ってブランドみたいなイメージだったけど、今では負け虫負け犬、恥知らず、嘘つきの代名詞みたいになっちゃいましたね。
(2025年 12月 26日 19時 09分 追加)含有銀量
安政一分銀1枚(7.7)玉座系も同じ
嘉永一朱銀4枚(7.32)
明治一分銀1枚(6.99)
明治一朱銀4枚(6.62)
だから、一朱銀のほうが手間賃がかかる分銀量が少ないですな。
浅井定量銀によれば、玉座系はつなぎとして明治政府が作ってたらしいので、明治初期はこんな感じですね。
安政一分銀玉座系1枚(7.7)
明治一朱銀4枚(6.22)
ま、そんなわけないんですけど。
明治政府はしょっぱなから、戦費をかせぐためにズル一分銀、一朱銀を作ってたのですね。
一朱銀のほうはそれほどズルではないですけど。
浅井定量銀なんてこんなものなんですよ。
(2025年 12月 27日 0時 25分 追加)あ、ちゃうわ。
明治一朱銀は明治貨幣司一分銀よりさらなるズル貨幣やわ。
安政以降は諸外国の銀含有量との比較でズルかズルでないか見たほうがいいわな。
こんなんやったら苦情出るわ。
天保一分銀3枚の銀含有量は25.75
メキシコ貿易銀の銀含有量は24.3g
安政一分銀3枚は23.12g
嘉永一朱銀12枚は21.95g
明治一分銀3枚は20.97g
明治一朱銀12枚は19.85g
天保一分銀は外国人にとって大喜び
安政一分銀もまあ、問題無レベル。
嘉永一朱銀、明治一分銀、明治一朱銀は割増で受け取らねば受け取りたくなかったでしょうな。
(2025年 12月 27日 1時 55分 追加)まあ1円銀貨はメキシコ貿易銀と似た重量、組成であったので、明治一分銀、明治一朱銀はあくまで正貨ができるまでのつなぎだったんでしょうね。