
新劇の再建 村山知義著
出版社 弘文社
刊行年 昭和25年初版
ページ数 416p
経年感あります。カバーなしです。
1930年5月治安維持法違反で検挙、12月保釈。翌年5月日本共産党入党。蔵原らとともに日本プロレタリア文化連盟(コップ)結成のため努力。10月コップ成立に応じ劇場同盟は演劇同盟(プロット)と改称、その中央執行委員長、コップ中央協議会協議員。1932年4月「志村夏江」(杉本良吉演出)の舞台稽古の朝検挙される。1933年12月、転向して出獄、1934年3月懲役2年執行猶予3年の判決を受ける。5月転向文学のはしり「白夜」(『中央公論』)発表。演劇運動に対する国家権力の弾圧が激しくなり、東京左翼劇場は中央劇場と名称を改称しその改名披露公演三好十郎作「切られの仙太」を上演(1934年5月12日~31日築地小劇場)した。だが、権力の抑圧でプロットは解散決議をせざるをえなくなる(6月)。結局7月15日プロットは解散、左翼劇場(中央劇場)も解体された。 出獄後の村山は、新劇団の再編成を考え、まず「新劇の危機」(『新潮』1934年9月)を発表、「新劇団大同団結の提唱」(『改造』1934年9月)をする。既存の演劇集団――新築地劇団・前進座・美術座などはこの提唱に反対する者多く、結局村山の主張する単一劇団は出来なかった。当初新協劇団は俳優と制作だけという構成であった(9月)。その後再編されて演出家(村山・久保栄)、俳優(小沢栄(のち小沢栄太郎)・滝沢修・伊達信・松本克平・原泉子・細川ちか子・伊藤智子ら)で11月に出発した。創立公演は村山(久保も参画)脚色「夜明け前・第一部」(久保栄演出)で、多くの観客動員があった。以後新協劇団の中心人物の一人として演出面で活躍。代表的なものは久板栄二郎「断層」(1935)「どん底」(1936)、久板「千万人と雖も我行かん」(1938)、本庄陸男原作「石狩川」(1939)など。この期には「夜明け前」の第一部、第二部(『テアトロ』1934年11月 1936年3月)、「石狩川」(『テアトロ』1939年11月)など、脚色の仕事はあるが戯曲の創作はほとんど見られない。ただ「白夜」などのほかに、大衆的な長編小説『新選組』(1937年11月 河出書房)、上下巻本の『天国地獄』(1939年3月、4月 有光社)を執筆している点にひとつの特徴が見られ、この線は戦後も『忍びの者』5部作(1962年10月 1965年3月 1967年1月 1967年6月 1971年7月 理論社)という形で現れる。 またこの期には新派の井上正夫が脱皮をねらって井上正夫演劇道場を1936年4月に結成、その指導、協力を求められて参加。以後新派、歌舞伎の演出も行い、戦後も続けられている。村山を先頭とする新協劇団の活動は戦時体制下の良心の灯であったがゆえに、1940年8月村山らは逮捕、新協は解体された。1942年6月保釈され、1944年控訴院判決が下された(懲役2年執行猶予5年)。1945年3月朝鮮へ、7月満州へ行く。
戦後敗戦により1945年12月帰国。新協劇団を再建へ向け動く。