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エンタイア 下関重砲兵聯隊の軍人宛て葉書 3通一括 昭和6年 希少 (2)
エンタイア 下関重砲兵聯隊の軍人宛て葉書 3通一括 昭和6年 希少 (2) [浏览原始页面]
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エンタイア 下関重砲兵聯隊の軍人宛て葉書 3通一括 昭和6年 希少 (2)
住所を書かずとも、下関重砲兵聯隊だけで届けられた。
歴史的にも 貴重な史料だと思います。


下関重砲兵聯隊

 1864年(元治元年)の英仏蘭米の四国艦隊による下関砲撃以来関門海峡の重要性が強く認識され、明治建軍の後は要塞地帯に指定されて下関重砲兵連隊がその守りに任じていた。
 芦溝橋事件をきっかけとして日華事変の拡大・長期化、日米英対立の激化など風雲急を告げるに至り、関門の重要性が認識され下関市吉見に「下関海軍防備隊」が置かれ、呉鎮守府の指揮を受け関門防備に当たることとされた。昭和15年から着工され、寒村であった吉見に昭和16年には一大城郭が出現し、町は軍隊色に包まれ、大東亜戦争が激化した昭和17年に完成し、小さいながらも軍艦が停泊するようになった。
 大東亜戦争末期の1945年(昭和20年)、米軍は太平洋の島伝いに日本侵攻を続け、B29の作戦可能範囲に入った後は、日本の補給路を絶つべく(飢餓作戦)機雷による封鎖作戦を開始した。特に沖縄侵攻作戦に先立ち、日本軍の沖縄への補給の阻止と日本艦隊の出撃封止を企図して関門海峡に対する機雷敷設作戦を実施した。第1回目は3月27日夜92機、第2回目は同3月30日の夜85機のB29により関門海峡に機雷が敷設された。4月10日にも約30機により実施されたということである。
 3月28日、門司海軍武官府は全ての艦船に対し関門海峡の航行禁止を告示し、下関防備隊は掃海を開始した。呉鎮守府(佐伯)から駆潜特務艇や呉航空隊の水上偵察機などが増援され、全力を挙げて航路啓開に当たったが、4月中の触雷被害は艦艇14隻、民間船舶33隻に上り、海峡の至る所に沈船のマストのみが海面に突き出している光景が見られた。
 4月10日、戦局の逼迫から大陸との海上交通確保が緊要となり対馬海峡/関門海峡防衛の専任部隊として第7艦隊が編成され下関海軍防備隊は呉鎮守府を離れその隷下となった。当初の兵力は、本体に人員約600名のほか、蓋井島、白瀬、賢女、川尻、波津崎の5ヵ所に防備衛所(人員約330名)を、角島、六連島の2ヵ所(人員約20名)に特設見張り所を置き、駆潜特務艇3隻、特設監視艇1隻、汽艇1隻、大発2隻を保有していた。防備の主対象は敵潜水艦であったが、対空防御用として25ミリ機銃57門、13ミリ機銃11門をも陸上に装備していた。
 5月に入って関門は大陸からの戦略物資搬入路として一層その重要性を増し、B29による機雷敷設も激化し、この月だけでも9回、約120機を数えている。6月にも9回約150機、7月以降は戦況の激化により資料も残されていないが日本全体に対して14回の機雷敷設が行われ、その半数程度が関門地域に集中したものと推定される。
 8月15日、日本が無条件降伏を受託したことにより4ヶ月余続いた関門に対するB29の機雷攻勢は終了した。しかし、関門地区には4,329個もの大量の機雷が敷設されており(米軍資料)、航行の危険性は持続していた。海軍は終戦後も下関防備隊跡の一部に下関掃海部を置き掃海隊を所属させて航路啓開に努め、11月に海軍が解隊した以後も掃海部は復員省に属して存続し作業は継続された。1948年(昭和23年)1月全国各地の掃海部その使命を終えて解体した後も、下関掃海部だけは作業終了の見通しは立たず、同掃海部のみ存続させられた。
 米軍は「機雷の電池寿命は昭和23年頃尽きると推定、以後その効力を失う」と日本政府に通告していたが、現実にはそれ以後も触雷事故が絶えず、米軍はその都度機雷の寿命見積を延長したため下関掃海部は解散することが出来ず、海上保安庁、海上自衛隊と所属は変わったが、昭和40年代まで海上自衛隊下関基地隊を基地として関門の掃海は継続された。なお、海軍防備隊の土地や建物の一部は既述のとおり掃海部隊が使用し、現在の下関基地隊に引き継がれているが、他の部分には昭和215月、釜山水産専門学校から引き上げた教員・学生を受け入れるため農林省主管の水産講習所の下関分所が設置され、後に現在の水産大学校となった

 




(2021年 9月 3日 11時 21分 追加)
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