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帯付属
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ヤン・ハマー・トリオ『マルマ・マリニー』──或る「ジャズ」のモード、その臨界点についての覚書
ここに『マルマ・マリニー』というタイトルの付された、或る音楽的記録がある。1968年8月、ミュンヘンの<Domicile>におけるヤン・ハマー・トリオのライブ演奏を捉えたそれについて、我々は単なる「ジャズの名盤」という、あまりに総括的で思考停止を誘うラベルを貼るべきではない。むしろ、これはヤン・ハマーという特定の音楽家が、特定の時代、特定の場所、そして特定の編成という条件下において到達した、或る「ジャズ」のモード、その臨界点についての、極めて示唆に富むドキュメントとして読み解かれるべきテクストである。
トリオという形式は、ジャズにおける最も基本的な構造の一つである。しかし、このトリオにおいて実現されている相互作用は、そうした定型的な理解をやや逸脱している。ヤン・ハマーは、オルガンとピアノという、音色も奏法も、そして音楽史におけるコードも異なる二つの楽器を同時に操ることで、一種の「複合的なインターフェイス」を構築している。彼の演奏は、単なるテクニックの誇示ではなく、これら異なる楽器の音色と機能がぶつかり合い、融け合うことによって生み出される、独自の「意味作用」の探求である。オルガンが空間を飽和させる一方で、ピアノは音の粒子を空間に打ち込む。この二つの操作が同時に行われることで、聴く者は常に、異なる次元の音響的情報に曝されることになる。
この構造を支えるリズム隊、チェス・シーのドラムとジョージ・ムラーツのベースもまた、単なる伴奏機能に留まらない。シーのドラムは、定型的なビートの反復から時に乖離し、個々の打音そのものが独立したシニフィアンとして立ち現れる。それは、リズムという時間的な構造に、偶発性という名のノイズを意図的に混入させることで、聴き手の予測システムを攪乱する。ムラーツのベースラインは、ハーモニーの基盤を提示しつつも、それ自体が独立したメロディックな強度を持つことで、トリオ全体の音響的レイヤーに更なる複雑性を加味している。彼らは、トリオという形式の内部で、安定と不安定の間の、常に緊張を伴うバランスを取り続けているのだ。
1968年という時代は、ジャズがエレクトリック楽器を本格的に導入し、多様な音楽的要素を取り込み始める、或る種の「転換点」であった。そして、<Domicile>という場所は、そうした新しい試みや、ヨーロッパ独自のジャズの発展を促す磁場として機能していた。このアルバムは、そうした時代の空気と、特定の場所の持つコンテクストが、ヤン・ハマーという音楽家をして到達させた、当時の「ジャズ」の、そして後の「フュージョン」へと接続される、或る特定のモードの記録であると言える。それは「ソウル・ジャズ」という、やや感傷的な、あるいは商業的なラベルによって括られるには、あまりにも構造的、あるいは概念的な強度を持った音楽である。
この『マルマ・マリニー』を聴くという行為は、単なる音楽の享受ではない。それは、提示された音響的テクストの構造を読み解き、その内部に張り巡らされた記号の網を分析し、ヤン・ハマーという音楽家がこの特定の時期に何を志向していたのか、あるいはジャズというジャンルがこの時期にどのような可能性を内包していたのかを考察する、知的なプロセスである。このアルバムは、明確な答えを与えるというよりは、聴く者に対して、音楽という現象、あるいはジャズというジャンルについての、新たな問いを投げかけてくる。そして、その問いにどう向き合うか、その応答の様式こそが、このアルバムが今なお持ち続けるアクチュアリティなのである。これは、聴き手に思考することを要求する、クールな、しかし紛れもない「事件」の記録なのである。
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