
【真作保証】 佐佐木信綱(文化勲章)・飛田周山(帝展審査員)合作 紙本墨蹟 『大東亜戦争記念芸術』 双幅 共箱 年鑑参考価格185万円 戦争画
東京帝国大学文学部卒業。貞明皇后をはじめとする皇族への和歌の指導を務め1937年に第一回文化勲章受賞及び帝国芸術院会員となった歌人、国文学者(佐佐木信綱(1872-1963)】。茨城県北茨城市の生まれ。久保田米、竹内栖鳳、橋本雅邦に師事。文展や帝展の審査員を務め岡倉天心を茨城県五浦に招きのちの日本美術院五浦研究所設立のきっかけを作った日本画家【飛田周山(1877-1945)】。二者合作で製作された『大東亜戦争記念芸術」の双幅掛軸です。共箱付。
【状態】
経年によるシミや多少のヤケ等見られますが、目立つような傷みは無く総じて良好な状態です。
【サイズ】
軸寸:縱×横 約146x66cm
画面寸:縱×横 約44x50.5cm
【美術年鑑参考価格】
美術年鑑には,佐々木信綱が90万円、飛田周山が95万円(二人合わせて185万円)と掲載されていますが,幅60cmを基準として算出されています。本作は,84%のサイズとなっています。
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【作者について】
佐佐木 信綱(ささき のぶつな、1872年7月8日(明治5年6月3日) - 1963年(昭和38年)12月2日)は、日本の歌人・国文学者。正三位。勲六等。文学博士。日本学士院会員。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。
一時は桂園派に連なる歌を詠んだが、和歌改良の風潮に接して革新の気風を抱き、1897年(明治30年)頃から独自の歌境をうち立て、有望な新星として注目された。「ひろく、ふかく、おのがじし」をモットーとし[要出典]、新詩社系、根岸短歌系双方との交流を深めた。
国文学者としての実績も豊富で、特に『万葉集』の研究で有名。
三重県鈴鹿郡石薬師村(現在の鈴鹿市石薬師町)で、国学者で歌人の佐々木弘綱の長男として生まれる。父の教えを受け5歳にして作歌する。1882年(明治15年)上京し、高崎正風に歌を学ぶ。1884年(明治17年)、東京大学文学部古典講習科に進む。1890年(明治23年)、父と共編で『日本歌学全書』全12冊の刊行を開始した。1896年(明治29年)、森外の『めざまし草』に歌を発表し、歌誌『いささ川』を創刊した。また、落合直文、与謝野鉄幹らと新詩会をおこし、新体詩集『この花』を刊行した。
1898年(明治31年)に歌誌「心の華」(後に「心の花」と改題)を発行する短歌結社「竹柏会」を主宰し、木下利玄、川田順、前川佐美雄、九条武子、柳原白蓮、相馬御風など、多くの歌人の育成にあたった。国語学者の新村出、翻訳家の片山広子、村岡花子、後に娘婿となる国文学者の久松潜一も信綱のもとで和歌を学んだ。『思草』をはじめ数々の歌集を刊行した。1934年(昭和9年)7月31日、帝国学士院会員に就任する。1937年(昭和12年)に第1回文化勲章を受章した。帝国芸術院会員。御歌所寄人として、歌会始撰者でもあった。その流れで貞明皇后ら皇族に和歌を指導している。日本文学報国会短歌部会長であったことから、「愛国百人一首」の選定委員に選ばれている。
1952年(昭和27年)には上代文学会の設立に関わり、学会誌『上代文学』創刊号に祝辞を寄せている。
1963年(昭和38年)、急性肺炎のため死去した。墓所は東京谷中霊園の五重塔跡近くにある。
1944年(昭和19年)から1963年(昭和38年)まで晩年の19年を過ごした熱海市西山町の邸宅「凌寒荘」は、2003年(平成15年)に熱海市が取得して以降、ボランティアによって管理・公開されている。
飛田 周山(ひだ しゅうざん / とびた しゅうざん、明治10年(1877年)2月26日 - 昭和20年(1945年)11月22日)は、明治時代から昭和時代にかけての日本画家。本名は飛田 正雄(とびた まさお)。別号に対月居。
文展・帝展審査員を務めたほか、岡倉天心を五浦に招いたことや、『小學国語読本』巻1の「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」の挿絵画家として知られる。
略伝
茨城県多賀郡大塚村(現在の北茨城市磯原町大塚)に、飛田正・きよ夫妻の長男として生まれる。父は農業を営み、村会議員や野口量平(野口雨情の父)が北中郷村の村長を勤めた4年間は、その助役に就いていた。明治26年(1893年)に上京し、叔父の海野美盛の書生となる。明治29年(1896年)当時東京にいた久保田米僊に入門。しかし、翌年米僊が金沢に赴任すると、上洛し竹内栖鳳に師事。1900年4月頃に再び上京してから日本美術院研究所に入り、橋本雅邦に学ぶ。この頃から積極的に展覧会に出品し、受賞を重ねる。
明治36年(1903年)、岡倉天心を茨城県の五浦に案内し、その別荘購入に尽力、のちの日本美術院五浦研究所設立のきっかけをつくる。明治39年(1906年)から昭和16年(1941年)まで文部省の嘱託として国定教科書の挿絵も担当した。天心没後は日本美術院から次第に離れ、以後文展や帝展などの官展で活躍する。大正6年(1917年)第11回文展の《幽居の秋》、同8年(1919年)第1回帝展の《神泉》がそれぞれ特選になっている。太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)に郷里へ疎開したが、東京大空襲で小石川区水道端の自宅が焼け、多くの作品が焼失したと考えられる。同年11月22日、疎開先でそのまま没した。享年68。
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